返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

目覚めってなんですか?

目覚めってなんですか?

 

スピリチュアルな世界観では、目覚めとかいう用語があります。

目覚めは、悟りとも、エンライトメントとも、覚醒とも言うみたいです。

 

正直言って、目覚めとは何をもって目覚めとするのかがわかりません。

目覚めが自覚できるのかもわかりません。

もし目覚めたとしても、それが目覚めであるのか? そうではないのか?

 

仮に、「目覚め」をアカシックレコードなど、

見えない世界にアクセスして情報を自由にとりだすことができることの意。

としましょうか。

 

そうすると、目覚めた人とは、

そういった能力を発揮できる人、ということになりますね。

 

そうだとすると、見えない世界の情報を自由に取り出せても、

使い方や、伝え方によっては、その人は悪魔にも、天使にもなるわけで、

はたして、そういったことが目覚めた人なのかどうか。

 

そういった能力を発揮できることが、目覚めの過程の一つだとしても、

それだけでは目覚めているとは言えないと思うのですよ。

 

また、そういった能力を発揮できる人でなくても、

目覚めた人がいたとしましょうか。

では、何をもって目覚めた人とするのか。

 

「目覚め」を定義しない限り、この解はないかもしれません。

最も、目覚めた人は、普遍的な定義がわかってるのかもしれません。

 

さて、目覚めの定義はあいまいのままですが、

読むだけで、身に着けるだけで、飲むだけで、覚醒する。目覚める。

そんな都合のいいことはあるのでしょうか。

 

もし、読むだけで目覚めに至るとしたら、

読んだ記事に対して、何等かの気づきがあり、

気づきに対して、日々行動し、

その積み重ねの末にたどり着くものではないかと。

 

 

仮に、目覚めにたどり着いたとしても、

それが目覚めなのかは自覚できないもの。

もし、目覚めが自覚できても、それは、エンドレスであり、

終わりのないものではないでしょうか。

 

結局、「目覚め」というあいまいなものを目指すより、

日々、何事にも真摯に向き合う姿勢でいることのほうが、

よっぽど大事なのではないかと思います。

 

これが私自身のこうあるべきであるという目指す姿勢ですね。