返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

思いつくままに12

不正。

 

辞書によれば、「正しくないこと。正当でないこと。また、そのさま。」(三省堂 大辞林より) とあります。正当とは、道理にかなっていること、すなわち、人の行うべき正しい道にかなっていることですから、不正とは、「正しくないこと、人の行うべき正しい道にかなっていないこと、また、そのさま。」ということになりますね。

 

「不正をはたらく」のはいけないと言われますが、なぜ、不正をはたらいてはいけないというのでしょうか。

 

それは、保とうとしている秩序が保たれなくなるからでしょうか?

ズルして伸し上がることが汚いことと見なされているからでしょうか?

騙したりしたことで罰せられることがダメな人という烙印を押されるからでしょうか?

 

では、不正をはたらいてでも頭角を現した人が、世のため、公のためになり、人々が物質面でも、心の面でも、豊かさを享受することになったとしても、不正をはらたくことはいけないとうことになるのでしょうか?

 

この例として挙げられる極端な例としては、クーデターや、革命だと思います。クーデターや、革命がおこる以前の秩序の下では正当とされていたものを犯して行動した結果、人々を豊かにしたのであれば、世の人々は、不正という認識はなくなります。

ねずみ小僧も、この類に分類されるかもしれません。盗み自体は良いこととはされませんが、盗んだ金子(きんす)が、世の人々にバラまかれて、本当に豊かになったのなら、人々は不正とは言わないかもしれません。英雄い評する人まで出てくることでしょう。もっとも、盗んだ金は要らない、掠め取った権力は認めないという人もいると思います。

 

さて、そうすると、不正ではないこと、道理にかなっていること、すなわち、「人の行うべき正しい道」とは、どういうことをいうのでしょうか。

 

これに対する正しい答えというのは無いかもしれません。その人の文化的背景、宗教的背景、社会的背景、時代的背景によって、異なってくるようにも思います。

日本にも、日本人以外の人々が増えてきました。外国人は、日本人とは異なる文化的背景、宗教的背景、社会的背景等をもっていますから、相互理解が難しいこともあると思います。日本人の側から理解しようとしても、相手が一方的に理解しようとしてくれないかもしれません。これは、日本人と外国人との間のみならず、日本人同士でも起こっていることです。ですから、多様性の時代にあって、「人の行うべき正しい道」の答えは一つではないかもしれません。

 

「人の行うべき正しい道」は、ある世界観では、「我先に、他人を蹴落として、自分だけ、自分の一族だけ豊かになればいい。」という道が、正当である場合があるかもしれませんが、私の答えは異なります。

 

それは、「自分自身の信念に嘘偽りがなく、後ろめたさは何らなく、何の迷いもなく堂々と、自分自身を100%信じ、一つ一つ淡々と向き合い、自分自身で決めているラインを割らず、そういった自分を認め、他人を否定せず、感謝の気持ちを忘れず、そして、公のために自分を生きること。」こういうことが、「人の行うべき正しい道」につながるのではないかと私個人的には思うのです。

 

きれいごとかもしれませんし、まだ到達いるものではありません。しかし、この境地に達する道のりは長い道のりであろうとは思いますが、死ぬまでには到達したい境地であります。