返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

思いつくままに11

冬季オリンピックの真っ最中ですね。
応援している選手がいい順位をとることは、応援している者、応援される選手にとって、励みになりますよね。

本番のその一本に掛ける思いは、
どの選手も同じなんだろうと思います。
メダルをとれても、とれなくても、
どの競技のどの選手も、
力の限りを尽くせることを願ってます。

ある記事で、トップアスリート(だけではないかもしれませんが・・・)は、自分の道具を他人に細工されないように、自分のスペシャルドリンクに変なものを入れられないように、細心の注意を払うようです。しかも、それは、つまり、自分の身は自分で守るということは、トップアスリートの常識なんだそうです。

肉体の極限を追い求めて、自分の限界に挑戦することで、また、最先の記録や順位を獲得することを目指している世界であっても、心の部分では、追いついていないのでしょうか。

いえ、選手の心が追いついていないというだけではないでしょう。回りにいるスタッフの仕業もあり得ます。いずれにしても、華やかの裏には、深い影が存在しているといえそうです。これも、陰陽の法則の表れかもしれませんね。

自分の限りを尽くして挑戦した結果、思うように奮わなかったとしても、見ている人から見れば、感動を覚えるものです。

しかし、不正で最良の結果を得たとしても、結果は結果ですから、不正が発覚しない限りは、賞賛を得続けるでしょう。

では、なぜ、不正が行われるのでしょうか?不正が行われるのは、アスリートの世界に限りません。
不正をしないと、地位、名声、報酬が得られないからでしょうか?それは、自分(たち)の生存や、存在意義が脅かされてしまうことにつながるからでしょうか?

不正を働かなくても、自分の持ってるポテンシャルを十分に発揮できる世界で、自分を活かしていく、そういった世界観で日々の営みを重ねていきたいものです。