余計なお世話と思われそうですが、異分子とか、異端児について思いつくまま書いてみました。
異端児。
「ある分野で、正統から外れ、特異な存在とみられている人。」(デジタル大辞泉より)
それでは、正統って何でしょう?
「その時代、その社会で最も妥当とされる思想や立場。」(デジタル大辞泉より)
異端の存在というのは、最も妥当とされる思想や立場から外れ、特異な存在とみられていることのようですね。
私は異端の存在である、というのを憚らず、自ら公言するのは、自身の内面で思い描いて作りあげた、最も妥当と思われる考え方から外れていると勝手に思っているのかもしれません。
しかし、ある場では、異端かもしれないけれど、他の場では妥当な立場に収まるかもしれません。
また、異端と思うなら異端と思うなりに、異なる見地から、物事を見られるし、助言もできるわけですから、その場では貴重な存在にもなりうるのです。ありとあらゆる場において、異端の存在であるということはないはずです。
もし、その場での疎外感を感じるというのなら、飛び込んで、自分の囲みを解かれることを恐れているかもしれませんし、飛び込んで、反撃されるかもしれないという不安を抱えているのかもしれません。
自分を活かす、というのは、他人によって活かされるものでもありますが、まず、自分自らの意志によって、自分を活かすと決めることが大事なんだろうと思います。