返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

つれづれなるままに

自分の中の正解ってなんでしょう

自分の中の正解は、自分だけの正解であって、他人から見たら不正解かもしれません。

それでも、他人に何と言われようとも、自分の中でブレずに、正解と思え、その感覚のままに進むことができたものは正解になるのでしょう。

その感覚のままに進むとは、逃げの感覚とは異なるものです。打算でもありません。その感覚で選択し、そこに勝手に進んでいく、そこに進まざるを得ないという感覚です。

その感覚のままにしたがって、進んだ先が、一見失敗のように思えても、それが実はレッスンになっている場合もあって、そのレッスンの先に、結果として、望んでいた正解が待っていることもあります。

自分に対して、どれほど純粋でいられるか?というのは、とても重要になってくると思います。純粋な自分は、身が汚れていない、心が汚れていないとかいうことではありません。どんな人にも、純粋な芯の部分を持っています。闇を抱えてたって持っています。その純粋さがあるということを忘れないことです。自分の核心ともいうべき部分です。それはとても純粋なのです。

純粋さから湧き上がる奥底の感覚や、心の声、それらにしたがって選択したことは、混じり気の無い純粋な自分自身の選択であり、それが自分だけの正解となっていくのです。つまり、自分だけの正解は、純粋な自分自身、核心の自分だけが知っているということです。

それが無から有を生み出したり、人を惹きつけてたりしていくことにつながっていくのかもしれませんね。