返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

思いつくままに。

もうすぐ、衆議院議員選挙の投票日ですね。

自民党が圧勝だそうですね。
野党のドタバタ劇をみていたら、自民党に投票したくなるのはわかります。

誰に投票すべきなのか、わかりかね、投票に行ったところで何も変わらないかもしれませんが、投票に行かないと、やはり変わりませんね。

いい政治家がいないのは、国民に責任があると仰る方がいました。これは、日本のサッカーが思うように成長しないのは、サポーターが甘いからだ!と似たような話ですね。では、野球がWBCで世界一になったのは、ファンが選手を育てたのでしょうか?

かつて、細川護煕氏が首相になって、連立政権をくんだとき、世の中は良くなったのでしょうか?

かつての民主党に期待して、民主党が政権を担ったとき、国民は、世の中が変わると期待したはずです。しかし、良くなったと実感することなく、大震災が起こりました。

さて、そもそも、日本がどのような国であればよいのか?どのような国であろうとするのか?ということを考えたことがあるのでしょうか?

明治が始まって、西洋の技術に追いつけ追い越せ。不平等条約を解消する。それはそれは大変な苦労をされたことと思います。しかし、当時の世界のいわゆる一等国となったとき、かつての日本はどのようにあろうとしたのでしょうか?

また、いにしえの日の本は、隋、唐などに学び、それらを吸収したあとの日の本は、どうあるべきなのか?と考えられていたのでしょうか?

通常、為政者は、自分の、自分たちの地位を守るため、余計な知恵はつけさせません。
しかし、幕末にあっては、町人、農民レベルにまで教育していたと聞きます。

「人は石垣、人は城」と、武田信玄は言っていたそうです。つまり、人が世の中を左右するのです。

しかし、どうでしょう。いくら優秀でも、思想が悪いと、組織を滅ぼし、集団を滅ぼし、会社を滅ぼし、国を滅ぼします。

小手先のスキルのみならず、私たち自身はどうあるべきなのか?人としてどうあるべきなのか?
そんなことの思想の共有が、国つくりに影響していくのではないでしょうか?

国民の責任の捉え方になりますが、私たちが、私たち自身の人生を生きるという責任の持ち方が、ゆくゆく、政治そのものを醸成していくのかもしれません。