返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

行き当たりバッタリ

流れに身を任せるのは、流れに流されるのではなく、

流れに乗って、こっちに来たものをつかむということ。

かといって、何もしないで、日々やり過ごすというのではなく、

何も考えずに、思考を停止することでもありません。

例えて言えば、歩いている道すがら、美男(または美女)を見つけ、

その美男(または美女)の何かに対して、ハッと思ったことを掴む感じでしょうか。

 

日々生活していく中で、興味があるものを見つけたら、

時間と費用の許す限り、調べてみたり、触ってみたり、見てみたり、行ってみたり、

何らかの行動はしていると思います。

 

その行動の中で、やってくるヒントをつかむと、次に行こうとする道が見えて、

そっちに進んでいくことになります。

そのヒントとは、面白そう!とか、これなら!とか、

いわゆるピンときたものになるのですが、

そういったヒントに対して、センサーを向けていないと逃してしまったりします。

センサーを向けていたとしても、思考が強すぎて、理由づけが多くなると、

センサーが働かず、流れに逆らったジタバタしている行動になってしまうことにもなります。

または、理由づけが多すぎて、行動できなくなったりします。

 

でも、最終的に、ある時点でヒントとして捉えられれば、

ジタバタしている行動であっても、行動しなくても、流れの中の一つとなり、

全体としては、流れに乗って身を任せることになるのかもしれません。

 

流れに身を任せるというのは、あるところに到達するまでの流れの中で、

その行動の全てが、直接的に結びついているというよりは、

間接的に、全ての行動が連動していることに気づかされます。

 

その流れの中で、そのときそのときで、

必要な人が身の回りに配置されていて、必要な時期に必要な人がやってきて、

必要なものを、ヒントとなる何らかを、もたらしてくれる。

そして、そのヒントを掴んで、実際に舵をきろうとするとき、

そのときに、他人の意見を参考にしたとしても、

あくまでも、肚を括って、自分で決断することが大事であり、

その肚の括りかたの程度、言い換えると、地に足をつける程度、その深さが、

舵をきった後の、その先の世界の進み方が変わっていくのだろうなと思います。

 

自戒を込めて。