返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

両面を受容する

清濁併せ呑む。

 

両面を分け隔て無く許容する。

 

これは、度量を表す言葉のたとえだけれど、他者に対してだけでなく、私たちの中に存在するものに対してもいえそうなのかもしれません。

 

私たちの中には、余程の聖者でも無い限り、綺麗なものだけが存在することはないハズでしょ。

 

普通の人なら、綺麗なものと同時に醜い部分だって存在するよね。

綺麗なことと同じように、醜い汚い部分だって認めて受け入れるんだよ。

認めて受け入れると、それを徐々に清算することだってできるんだよね。

だって、「ある」って存在を認めたからね。

蓋をしたまま認めてあげないと、本当は存在しているのにも関わらず、存在しないことにしているよね。

 

他者の批判だけをしても始まらない。

もし、他者が自分を映す鏡だとしたら、特に親しい人が、自分の内面を最も映すとしたら、本当はありがたいことなのかもしれないよ。

それに出会った瞬間は、「えっ!」って思うかも。そんなの見たくないよね。
でもね、それに出会って、もし、自分の中にそれがあったことに気づいてしまったとしたら、気づいて、なんとかしようと思ったら、一つクリアすることになるかもね。

 

自分の中の暗い部分を見るのは、ほとんどの人は嫌だと思う。

それを少しずつクリアしていけたら、今の立ち位置から脱却できるということですよ。

 

そういった地道な歩みが結果として、変化、変容につながっているということですね。