返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

自分で立つこと。

自分を100%信じ切る。

この言葉は以前にも書きました。

100%自分を信じるということは、
自分をよく見て、自分を知り、どんな自分でも、自分で認めること。

その過程において、他人の行動を見て感じることを、自分に顧みて、また自分を探る。
さらに、他人の助言や、何気ない一言を通して、
自分で気がついていない自分を気づかせてもらい、また自分を見る。
日々の出来事から何を見せられているのか、ということに気が付く。
そうしていくうちに、自分を知り、全ての自分を完全に認めてあげられるようになる。

「全ての自分を完全に認めてあげる」ということが、
自分を裁かない(いわゆるジャッジしない)ことになり、
自分を許すとか、自分を受け入れるとかってことになるかもしれません。
これが、自分自身とのパートナーシップを築くことになるのだろうと思います。
また、自分にそれができるのならば、
他人に対しても寛容になったり、無用な裁きは発生しなかったりするかもしれません。
そうすると、恋愛対象、夫婦を含めた他人とのパートナーとの関係が、
より良いものとして構築できることになるのでしょうね。

最も、自分を知る作業は奥が深すぎて、いつ底にたどり着けるのかは分かりません。
ですから、「全ての自分を完全に認めてあげる」というのは、
その時点の自分を認めてあげられるか、
その時点の自分を信頼できているか、ということになるのでしょう。

自分を100%信じ切るということが出来るようになれば、
自分のことを、自分で自分に聞いてみて、それで答えを出して、
自分で自分の人生をデザインすることだって十分に可能になるのでしょう。

もちろん、生きていれば、迷いが出るので、
より良い人生を送るために、他人に相談したりすることは、
幾らだって「あり」だと思います。
また、他人から学ぶことは幾らでもあります。

例えば、自分で答えを出さずに、答えを他人任せにして、
その答えに基づいて行動した結果、失敗したとします。
その時に、自分で全責任を負う覚悟ができているでしょうか。
少なからず、他人の所為にしてしまう心持ちが残ってしまうことはないでしょうか。

「変わりたい」と思っている人は、他人の出した答えに乗っかって、そのまま行動することで、
もはや城壁となっている、今まで自分が築いてきた自分にとっての常識を、
取り壊していくという方もいらっしゃるかもしれません。

それはそれで意味のあることだと思います。
いままで自分に無かった世界に踏み出そうとするのですから。
そうやって一歩踏み出したとき、順調なときは何も問題は起こらないと思います。
ところが、「いざ」という状態になった時に、自分で責任を負えるか?ということです。
他人の所為にしても、
行動するからには腹をくくれ!失敗したのは、覚悟が足りないからだ!
なんて言われるのがオチですよね。

一方で、自分で出した答えで行動した結果が失敗したら、
誰にも文句は言えませんよね。
それに、自分の出した答えなら、やり直すことだって、いとも簡単になるかもしれません。

そうであるように、自分で自分の気づきを得て、
他人から得た気づきを自分のものにして、自分の足で立って、
最後の最後は、自分で判断して行動する。
それが、自分との、そして、他人とのパートナーシップを気づくことの最初の一歩。
なのかなと思います。

これも「在り方」の一つですね。


今日もお読みいただきありがとうございました。