返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

人の世で。

人は人との関係において気づかされるとき、大きな気づきとなることが多い。

それは、誰かの行為があなたに少なからず影響を及ぼすとき、何らかの気づきを得る。
いや、気づきは、気づきを得ることに意識を向けていないと、気づきとなるサインを見逃すことが多くなるだろう。

気づきは、心の奥底から沸き上がってくる、閃きのような場合もある。それは、ある出来事の直後の場合もあれば、だいぶ時間が経ってからの場合もある。

または、人が教えてくれたことに、ハッと気づかされることもある。その瞬間の場合もあれば、思い返してみて気づく場合もある。

要は、先ずは気づくことが大事なのだ。気づくことで、人としての幅が広がる。そして、気づきが増えてくると、一方的な見方ではなく、多面的な見方ができるようになってくる。そうすると、物事の本質が見えてくる。そして、自らの手でもあなたという人の核心が解き明かされてくるかもしれない。
気づきが多ければ多いほど、御霊の成長は著しいものとなるだろう。

自分で得た気づきが最も確かなものになるのだ。

気づくという行為は、全ての人に、本来備わっている能力である。誰にでもできることである。

気づこうとする意識さえあれば、それでいい。得られた気づきが間違いか正しいなんて、分からない。もし、人の世の方向として、違っていたのなら、それも気づきであるし、そこで修正すればいいだけのこと。

気づきは人の営み全てから得られる。遊びであろうと、なかろうと。

人の世で生きている間に、ご一緒した仲間たちと、たくさんの気づきを持ち帰りたいな、と思う。