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返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

今日は思いつくままに。

評価し、評価されることは、教育や環境によるクセ。これは、長年のクセであり、それも数世紀に亘るクセ。

これは、ある方にいただいたことば。



たとえば、私たちの多くは経済活動をして生活しています。
経済活動していく上で、他人からの評価を受けることで、収入が増えたりするわけです。

芸術の世界も、芸能の世界も、スポーツの世界も、ビジネスの世界も、政治の世界も、やはり同じです。

多くの場合、プロセスよりも、作品のデキ、成果、成績が求められますよね。人気も必要かもしれませんね。これらによって、得られる収入が変わります。

貧すれば鈍するというように、ある程度の収入があれば、活動も活気づくというわけです。

さて、社会に出る前、ほとんどの人は、学校に通いますよね。学校では、成績がつけられます。中には、塾に通う人もあるでしょう。やはり成績がつきまといます。ここで、評価は先生もしますし、身近な両親をします。

大抵の場合、褒めて貰うと嬉しいですから、子供は、評価を得ようとしてしまいます。

このように、順繰りで評価し評価する社会構造の中にいるんですね。私たち。しかも、数世紀にもわたて。

ところで、昔聞いた話。寺子屋って、自分の好きなこと勉強してよかったんだそうです。全部の寺子屋かどうかはわかりませんが。好きなことだけ勉強して良ければ、それに没頭するでしょうから、他人の評価は関係ないかもしれませんね。

そういう点では、寺子屋の時代の方が、何かを極めるには良い環境だったかもしれません。
しかしながら、他人が何も感心を示さないことはなかったらでしょうから、何らかの評価はあったかもしれませんね。

人は、ある程度のストレスがかかったほうが良いという研究成果もあるようです。ということは、評価し評価されるのも、ある程度のストレスがかかるといえそうなので、結局、評価する評価されるはついて回るということですね。

そうすると、自分がどの立ち位置から、その行動をとっているのか?ということが、決め手ということですね。

他人の評価を集めようとして行動するのか?
自分が納得行く程度を目指して行動するのか?

あなたは、どっちを目指しますか?

今日もお付き合い頂き、ありがとうございました。