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返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

巧妙に潜んでいる

執着する心とは巧妙なものです。

 

表面上、執着していないように見えても、意外と執着する心は持ち合わせているものです。

それはどういうときに分かるのでしょうか。それは、「ある」と思っていたものが、「無い」と思う状態になったときに認識できるようになるといえそうですね。

 

例えば、お金。お金があると、ある程度のことは何でもできてしまいますよね。でも、お金が出ていくとき、「惜しい」という気持ちが現れることはありませんか。また、貯蓄を取り崩して手持ち資金が減った時、「あれがあったらな・・・」とか思いませんか。

 

例えば、人。交友関係は大事ですよね。仲間や、恋人と一緒にいると楽しいことが多いですよね。でも、そんな仲良しさんと思っている人でも、離れて行ってしまうとき、「寂しい」、「悲しい」、「悔しい」など、未練だったり、いろいろな感情が浮かんできませんか。

 

例えば、物。住まい、食べ物、衣服などなど。それそれ、好みがあると思います。それぞれの好みにあったものが手もとにあると、幸せな気分になったり、落ち着いた気分になったり、安心感が得られたりしますよね。でも、その安心するものが消えてしまうと、イライラしたり、焦ってみたり、負の感情がでてきませんか。

 

このように見ていくと、お金でも、人でも、物でも、そのものに向かう気持ち、そのものに向かうエネルギーが注がれ、愛着が湧き、その類の感情が強くなると、執着する心もまた強くなるように思います。

愛着が湧くことで、大切にする気持ちの大切さに気が付くわけですし、大事に扱おうとすること、丁寧に対応しようとする原動力になるわけですから、執着する心そのものは悪いのではないと思うのです。一方で、何に対しても愛着が湧かないというのは、無関心につながるのですから、それは行動する動機が生まれなくなると思います。

 

行きすぎた執着する心がバランスを崩して負のスパイラルに陥ってしまったりするのだと思うので、いかにバランスした状態でいられるのかが重要なのかなと思います。少しでもズレが生じれば、バランスは崩れ去るわけですから、バランスを崩す感情というものは巧妙に潜んでいるのですね。

 

何かに執着したとき。それも気づきが得られたり、必要な何かを学ぶことになるのですから、悪いことは無く、悪いと思い込んでいることに気が付きます。

まぁ、私も含め、渦中にある間はそんなことに気が付きませんがね(笑)

 

今日もお読みいただき、ありがとうございました。