返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

コミュニティ

私は、私のやり方でやっていこう。

だって、今までだって。いい形を造ってくることができたんだもの。

 

以前に書いていることかもしれませんが、改めてもう一度書き残しておきたいと思い記します。

 

2011年にあるコミュニティーができました。

自分で積極的に造ったのではありませんが、声をかけて頂いてできました。

最初は7人でスタートしました。電子媒体が主でしたが、実際の活動が始まる前に、いろいろと話し合いをしました。

 

最初に、チーム名をみんなで出し合いました。

メンバーが出してくれた名称ののうち、込められた意味が良かった2つをくっつけて、チームの名称を決めました。

そして、このままではバラバラになると思い、何を目的として集まったのか、チームの名称を基に、コンセプトみたいのを考えました。このコンセプトは、ある意味こじつけです。

 

あるとき、ある一人の発言のために、活動を開始するまでの間に一悶着がありました。

メンバーの多くは困惑し、沈黙を決め込んでいました。

そのうち、その方は、ご家庭の都合により、参加不可となりました。参加不可が表明されるまでの間、もしかしたら、メンバーの多くは排除を考えていたかもしれません。私は、正当な理由なく排除するのは、小学生のいじめのように思えたので、それは避けたいと思っていましたし、排除しようと意図して動いた人は誰もありませんでした。しかし、まるで、天の計らいのように、ある日、突然、そうなったのです。

 

そして、めでたく、活動開始となりました。

 

活動を開始したのですが、発案者が独断と偏見で、運営を開始しました。私も、その人をサポートしました。協力しました。その方は、組織運営はトップダウンとすべきだと考えていたのでした。まぁ、特段、運営方針が間違っていたとも思わなかったですし、そのほうがいいだろうし、発信は発案者にお願いしておいたほうがいいかもと、その時点では思っていました。

 

しかし、ある時、温泉に浸かりながら、沈みゆく夕日を見ながら、ゆっくりと考えました。このままではいけない。大人数ならまだしも、少ないメンバーで構成しているのだから、トップダウンでなく、全員が参加している、みんなが自分たちの意志で、自分たちの手で造っている、という意識を持ってもらわないと、いずれ崩壊するのではないか? なにより、少ないメンバーなのに、この形では、みんなの為にならないのではないか。やり方を変えねば。そう思いました。

 

温泉から帰ると、発案者に伝えました。やり方を変える必要がある。

運営の主体をみんなに変えることにしました。こっちからアイデアを出したり、アイデアを募ったり。意見を出してもらったり。それぞれに話を振ったり。

そうこうしているうちに、なぜか、発案者の方も、都合が悪くなり、参加できなくなりました。そして、ある意味、残るべく残った5人を中心に、活動を続けることになりました。

 

その後、細かい紆余曲折はありましたが、このコミュニティーの活動は続き、理想とする形となりました。メンバー全員が参加し、ここは私たちのコミュニティーであることを自覚し、誰かだけに全てを任せず、個々の役割を果たていく、いつまで続くか分からないけど、これからも、でき得る限り、続けていこう。という共通認識が出来上がりました。時間が醸成したこともあると思いますが、残ったメンバーが、個々のそれぞれのメンバーを尊重できるという関係ができあがりました。

 

このコミュニティーは、いまでも活動を続け、2017年を迎えた今、新たなステージを迎えることになりました。このコミュニティーは、あくまでも、趣味の範疇をでるものではありませんが、ここで培った、この理想形のひな形を造ることができたという思いはあります。

 

このように書くと、私の力、私のやり方で、コミュニティーが形成されたように思うかもしれませんが、みんなの意志と、みんなのサポートと、みんなをサポートしてきてくれた方の助力があって、はじめて出来上がったコミュニティーです。

 

そして、ここで経験、その後、いろいろなところ、様々な方々から学ばせていただいたことがベースとなって、個々に自由に表現しつつも、秩序は保たれる社会、身の回りのコミュニティーができたらいいなという考え方が出来上がっていったのだと思っています。

 

ここで得た経験を活かして、新たな時代が始まるであろう2017年以降の道を歩んでいきたいと思います。

 

いつの日か、みんさんの理想とする身の周りのコミュニティーについて、シェアし合ってみたいなと思ったりしています。

 

最後までお読みいただき、ありがとうございました。