返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

意図。

例えば、ド・ミ・ソの和音。

「ド」はしっかり鳴らす、「ミ」は弱め、控えめ、暗めに鳴らす、「ソ」は高めに鳴らすと、キレイにハモります。
これは、あるべきところに、あるべき音があると、至福の音となるといえそうです。

旋律には、曲によって、複雑な和音があったり、不協和音があったり、時には、ユニゾンがあったり、伴奏もない、ソロの場面があったりするわけですね。もちろん、安心する和音もあります。

一つの曲には、音が始まって、音が終わるまでの間、音の世界に様々なドラマがあるように思います。そして、曲を演奏する人々が、楽譜からドラマを感じとって、音として、そのドラマを表現しているのでしょう。
そして、その曲のドラマには、作曲者の意図が存在しているわけです。

人の一生は、この世に産み落とされてから、あの世のお迎えがくるまで、様々なドラマがあります。
同じように考えると、宇宙の始まりから、まだ見ぬ宇宙の終わりまでの間においても、ドラマがありそうですね。

このように考えると、人の一生にはドラマがあり、宇宙の歴史にもドラマがあることになるわけですが、曲と同じように、人のドラマには、人の司る者の意図があり、宇宙のドラマには宇宙を司る者の意図があるかもしれません。

では、それらを司る者とは、一体何者なのでしょうか?

それは、私たち一人ひとりが、私たちのそれぞれの世界を創造している創造主としての意識かもしれません。

創造主としての意識。
私はどうありたいか?
私の世界はどうでありたいか?
このテーマは幾つになっても、つきまとうテーマかもしれません。