返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

自分の流れで

無数のタイムラインがあるとしても、流れが無いときには、そこには行かない、行けない。
それでも、行動した価値は大いにある。

そのタイムラインが早まるし、それを引き寄せることにつながるから。

 

どんだけあがいてみても、どれほど焦ってみても、やはり、無いものは無い。

全ての人が同じように行動しても、全ての人に同じことが起こるということでもない。

その人にあったものだけがやってくる。

 

転機というものは、その人固有のタイミングで迎える。

他人が先に進んだことを気にするな。

キミにも必ず、キミがするべきことが巡ってくる。

そのときのヒントを、そのときのサインを見逃すな。

 

他人の意見は、大いに参考にしたらよい。

でも、他人の言動や、行動に惑わされるな。

考える軸はキミの中に置け。

最後の最後の決断は、キミにしかできないのだから。

最善の道を歩め。

愚直でいいから進め。

いま目の前のことに誠意をもって取り組め。

できる限りの力をそこに注げ。

それが次につながる。

損得勘定は、一時的な得にしかならぬ。

 

キミにはキミのやり方があり、他人には、他人のやり方がある。

何事も、一気には進まない。一気に進んだように見えるのは、助走期間があるからこそ。

そして、いまが、たとえ、冬の期間であったとしても、冬以外の期間と同じように楽しめ。

そうなれば、春はもっと楽しいものになる。

 

キミが楽しむという状態にあるとき、回りの他人は、幸せな気分になる。

キミが喜ぶとき、回りの他人も一緒に喜んでいる。

キミがいい状態であるとき、キミが見る世界は変わっている。

 

大丈夫。

何も心配することは無い。

そこにはキミが選んだ道しか無い。

生き方、在り方は、キミだけが知っている。

他人がくれる示唆をどう捉えるかは、キミのセンスにかかっている。

 

それだけなのだから。

結果として

期待に応えよう、とかね。
評価を貰おう、とかね。
そんなのは意外と邪魔になるってこと。

 

そりゃね、欲が出てね、評価してもらおう!って思う気持ちがムクムクっとするときもあるよ。

 

でもね、いま目の前のことをね、自分が納得いく程度に力をかけると、結果として、評価されてしまうということ。

 

あ~、でもね、一人よがりでないということがポイント。自分軸なんだけど、

一人よがりではないってこと。だからといって、相手に媚びていないってこと。

力をかけた結果がね、たとえ自己満足でしかないとしても、相手のことをね、少しでも考えたかってこと。

 

それによって、力をかけたものに対して、エネルギーの入り方が違うのよ。

だからね。

目の前のことに、あるだけの力をかけるとどうなるか?
少なからず、エネルギーが入ってるでしょ?パッションを感じるでしょ?

 

その結果、評価されてしまうということになる。

 

ここで注意なのは、評価は万人からされるものでも無いってこと。

たとえ、一人の人から評価されるってことだって、とっても素敵なことなんだよ。

それを受け入れる。

 

どう?少しは自信がもてたでしょ?

両面を受容する

清濁併せ呑む。

 

両面を分け隔て無く許容する。

 

これは、度量を表す言葉のたとえだけれど、他者に対してだけでなく、私たちの中に存在するものに対してもいえそうなのかもしれません。

 

私たちの中には、余程の聖者でも無い限り、綺麗なものだけが存在することはないハズでしょ。

 

普通の人なら、綺麗なものと同時に醜い部分だって存在するよね。

綺麗なことと同じように、醜い汚い部分だって認めて受け入れるんだよ。

認めて受け入れると、それを徐々に清算することだってできるんだよね。

だって、「ある」って存在を認めたからね。

蓋をしたまま認めてあげないと、本当は存在しているのにも関わらず、存在しないことにしているよね。

 

他者の批判だけをしても始まらない。

もし、他者が自分を映す鏡だとしたら、特に親しい人が、自分の内面を最も映すとしたら、本当はありがたいことなのかもしれないよ。

それに出会った瞬間は、「えっ!」って思うかも。そんなの見たくないよね。
でもね、それに出会って、もし、自分の中にそれがあったことに気づいてしまったとしたら、気づいて、なんとかしようと思ったら、一つクリアすることになるかもね。

 

自分の中の暗い部分を見るのは、ほとんどの人は嫌だと思う。

それを少しずつクリアしていけたら、今の立ち位置から脱却できるということですよ。

 

そういった地道な歩みが結果として、変化、変容につながっているということですね。

見合ったものがくる

浮ついているだけのものには、浮ついているものだけが寄ってきます。

上辺だけの綺麗なものだけ求めるものには、上辺だけの綺麗なものだけが与えられます。

また、暗黒を求めるものには、暗黒を迎え入れます。

 

つまり、どういうことかというと、あなたの持っているエネルギーに応じて、あなたの求めているものだけがやってくるということです。

 

あなたが反応したものは、あなたの欲しいものということになります。顕在化しているだけでなく、潜在的欲求として反応しているものを含みます。

 

言い換えると、求めているものは自分の中に存在し、求めていないものは自分の中から、淘汰されていくということです。

 

こういうことが、これから加速していくでしょう。

 

本当は、何を求めているのか?
本当は、どのようで在りたいのか?

これから、ますます問われることになるでしょう。

素敵な人

たとえば、自由な太陽みたいな素敵な人がいるとする。

とても自由なところが魅力的。

自由でいることで、誤解もされることもある。...
でも、自由を失ったりすると、太陽のような輝きを失う。

そう、自由でいるということは、自分を存分に表現できているということ。
自分を表現できているということは、自分を太陽のように、輝かせることができるということ。

あなたは、何を表現したいのか?
あなたは、本当はどうしたいのか?

自由な太陽は、いつも教えてくれる。

無言でね。

 

協力しあう。

自分の流れを大切にすること。

これって、周りの雰囲気に流されることを大切にすることではないですよ。自分のすべきことをしたうえで、意識を向けて、どこまでも、流れに乗っかることを大切にするということです。
わかりにくいですよね(笑)

往生際悪く、ジタバタ動いても、あれこれ考えても、流れが無い時には無く、無いものは無いので、何も前に進んでいないことになりますね。こんなときは、流れに逆らっていることになりかねませんね。

感じたら行動も、「感じた」が思考だったりすると、行動したところで、流れは来ません(笑)

それでも、行動することで、意識付けにはなるので、行動すること自体が悪いことではありませんよ。その行動した結果をどうみるか?です。

流れを大事にするのは、どこまでも流れに乗っかって、来るべきタイミングを捉えるのですよ。流れの中で、そのセンサーをはっておくのです。センサーは、掴もうとするものに対して、意識を向けておくことですよ。

さてさて、こういうことは、男性よりも、感覚に優れた女性のほうが得意かもしれませんね。

男性は、ひょっとすると、過去の成功体験とか、過去の自己のデータに照らし合わせることをたよりにして、掴もうとするかもしれません。それでは、間に合わないかもしれませんし、時代がどんどん変わっているいま、その成功体験が邪魔になる場合があるかもしれません。

いやいや、男性が劣っていると言いたいのではありませんよ。男性は、女性よりも、ロジックに考えることが得意ですよね。

一般的に、男性は女性を、女性は男性を理解できない生き物と捉える見方もありますが、だからといって、理解し得ないものとせずに、お互い、いいところは見習って、男性と女性が得意な能力を出し合って協力できれば、お互いに補完しあって、新たな流れを起こすことだって、十分に可能ですよね。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

自分で立つこと。

自分を100%信じ切る。

この言葉は以前にも書きました。

100%自分を信じるということは、
自分をよく見て、自分を知り、どんな自分でも、自分で認めること。

その過程において、他人の行動を見て感じることを、自分に顧みて、また自分を探る。
さらに、他人の助言や、何気ない一言を通して、
自分で気がついていない自分を気づかせてもらい、また自分を見る。
日々の出来事から何を見せられているのか、ということに気が付く。
そうしていくうちに、自分を知り、全ての自分を完全に認めてあげられるようになる。

「全ての自分を完全に認めてあげる」ということが、
自分を裁かない(いわゆるジャッジしない)ことになり、
自分を許すとか、自分を受け入れるとかってことになるかもしれません。
これが、自分自身とのパートナーシップを築くことになるのだろうと思います。
また、自分にそれができるのならば、
他人に対しても寛容になったり、無用な裁きは発生しなかったりするかもしれません。
そうすると、恋愛対象、夫婦を含めた他人とのパートナーとの関係が、
より良いものとして構築できることになるのでしょうね。

最も、自分を知る作業は奥が深すぎて、いつ底にたどり着けるのかは分かりません。
ですから、「全ての自分を完全に認めてあげる」というのは、
その時点の自分を認めてあげられるか、
その時点の自分を信頼できているか、ということになるのでしょう。

自分を100%信じ切るということが出来るようになれば、
自分のことを、自分で自分に聞いてみて、それで答えを出して、
自分で自分の人生をデザインすることだって十分に可能になるのでしょう。

もちろん、生きていれば、迷いが出るので、
より良い人生を送るために、他人に相談したりすることは、
幾らだって「あり」だと思います。
また、他人から学ぶことは幾らでもあります。

例えば、自分で答えを出さずに、答えを他人任せにして、
その答えに基づいて行動した結果、失敗したとします。
その時に、自分で全責任を負う覚悟ができているでしょうか。
少なからず、他人の所為にしてしまう心持ちが残ってしまうことはないでしょうか。

「変わりたい」と思っている人は、他人の出した答えに乗っかって、そのまま行動することで、
もはや城壁となっている、今まで自分が築いてきた自分にとっての常識を、
取り壊していくという方もいらっしゃるかもしれません。

それはそれで意味のあることだと思います。
いままで自分に無かった世界に踏み出そうとするのですから。
そうやって一歩踏み出したとき、順調なときは何も問題は起こらないと思います。
ところが、「いざ」という状態になった時に、自分で責任を負えるか?ということです。
他人の所為にしても、
行動するからには腹をくくれ!失敗したのは、覚悟が足りないからだ!
なんて言われるのがオチですよね。

一方で、自分で出した答えで行動した結果が失敗したら、
誰にも文句は言えませんよね。
それに、自分の出した答えなら、やり直すことだって、いとも簡単になるかもしれません。

そうであるように、自分で自分の気づきを得て、
他人から得た気づきを自分のものにして、自分の足で立って、
最後の最後は、自分で判断して行動する。
それが、自分との、そして、他人とのパートナーシップを気づくことの最初の一歩。
なのかなと思います。

これも「在り方」の一つですね。


今日もお読みいただきありがとうございました。