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返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

動くとき。

やはりタイミングというものはある。

とにかく動いてみたものの、時期では無いこともある。そのタイミングではなかったとき、物事は動かないものだ。

物事が動く時には動く。物事が動かないときに何を思うかで、次の展開がどうなるかが変わってくる。
物事が動かないとき、あらゆる選択肢がある。
例えば、一切を止めるという選択肢もある。形を変えて動いてみるという選択肢もある。それでも、闇雲に動くという選択肢もある。
あなたが導き出したどの選択肢も正解だ。

タイミングが来たと思ったら、速やかに動き、
タイミングでないときは、準備を整えてタイミングが来るのを静かに待ち、
いざ動くとなったら、全力で取り組み、
動かない、動けない時はじっと不動心で泰然と構えて待つ。

何かするときは、こんなような流れかもしれないね。

今日もお読み頂きありがとうございます。

未来を紡ぐ。

いろんな人に、いろんなこと聞いてきましたよ。今まで。

共通する内容は、そうことなんだね、と認識して、模索中ですね。

また、いくつかの道が存在することもわかりましたよ。それだけ、パラレルワールドが未来に存在しているわけですね。

昔読んだマンガに、ボクらは、未来の糸を紡いで生きている。紡いだ未来の糸が束となって過去となる。というようなことが描いてありました。

つまり、無数にある未来を、イマココというところにおいて、どのような想念、思念を持って紡いでいくかによって、その人の歴史が形成され、未来の形も変わってくるということなんですね~。

~確からしい未来を求めても、約束された確かな未来は無い。そなたの自由意志によって、得られる未来は変わるであろう。~

やはり、いまココで、如何に真心を持って事にあたるか?ということが、大事そうに思いました。

今日もお読み頂き、ありがとうございます!

人の世で。

人は人との関係において気づかされるとき、大きな気づきとなることが多い。

それは、誰かの行為があなたに少なからず影響を及ぼすとき、何らかの気づきを得る。
いや、気づきは、気づきを得ることに意識を向けていないと、気づきとなるサインを見逃すことが多くなるだろう。

気づきは、心の奥底から沸き上がってくる、閃きのような場合もある。それは、ある出来事の直後の場合もあれば、だいぶ時間が経ってからの場合もある。

または、人が教えてくれたことに、ハッと気づかされることもある。その瞬間の場合もあれば、思い返してみて気づく場合もある。

要は、先ずは気づくことが大事なのだ。気づくことで、人としての幅が広がる。そして、気づきが増えてくると、一方的な見方ではなく、多面的な見方ができるようになってくる。そうすると、物事の本質が見えてくる。そして、自らの手でもあなたという人の核心が解き明かされてくるかもしれない。
気づきが多ければ多いほど、御霊の成長は著しいものとなるだろう。

自分で得た気づきが最も確かなものになるのだ。

気づくという行為は、全ての人に、本来備わっている能力である。誰にでもできることである。

気づこうとする意識さえあれば、それでいい。得られた気づきが間違いか正しいなんて、分からない。もし、人の世の方向として、違っていたのなら、それも気づきであるし、そこで修正すればいいだけのこと。

気づきは人の営み全てから得られる。遊びであろうと、なかろうと。

人の世で生きている間に、ご一緒した仲間たちと、たくさんの気づきを持ち帰りたいな、と思う。

活かし活かされ。

もし、私の力を必要とするのなら、
それで、あなたの働きの場が広がり、
多くの者の救いとなるのなら、大いに力になろう。

それで世の中のためになるのなら、地球のためになるのなら、銀河系のためになるのなら、いや、宇宙全体のためになるのなら、そして、それが私を活かすことの一つなら、あなたに、この力を捧げよう。

能力をセーブしないで、ブレーキかけないで、
パワー全開で、あなたを支えよう。

もし、私の力が役にたつのなら、喜んで引き受けよう。君たちの才能を拓かせるなら、それで君たちが変われることができるなら、喜んで力を貸そう。

自分の活かし方を考えあぐねている君たち。そのような君たちと共に、光を見いだしていこうと思う。そこに飛び込んでいけるように、手伝おうと思う。

活かし活かされる場。そんな場ができた(これからできる(^^ ))。

術は、使い方を誤ると、人を惑わすことになる。

なまじ能力を持っているばかりに、あなたのエゴで、術を使ってしまえば、人の人生をおかしくする。ゆくゆくは、人を殺めることにもなる。

古今東西、これは常に起こってきたこと。それを知っているから、無意識的に封印している者もいるだろう。または、本当は使えるのだけれど、使えないように意識的にしている者もいるだろう。

術を使うとき、自分が整っていないと、満ちていないと、同じ過ちを繰り返すことになりかねない。それを承知なら、術を使うのも良いだろう。

術をどのようにして役立てるか?
それを考えたことはあるだろうか?
術を使えない人、使えることを忘れている人から見れば、術を使える人に対して、信奉者となる場合もあり得る。

術を使える者は心してかかられよ。

欲しいと思うものの一つ

奥底にある、飾りの無い心、偽りの無い心。
これを開くということ。

守るために身に付けた心のシャッターを開けるということ。
わたしもシャッターを上げ、あなたもシャッターを上げるということ。
わたしもあなたも本音で話ができること。
気づきが得られ、それが深まっていくこと。

開かれた場をつくるということ。
そこにいて楽しいと思える場をつくること。
得意な何かを発揮してもよい環境をつくること。
主役はみんなであること。
そうしたことが連続して起こること。

それが喜びとなる。

そのためのスキルをもっと身につけたいな。

音。

音。サウンド。

意図された音でも、意図された音でなくても、
広がりのある響く音でも、響かない真っ直ぐな音でも、いま聞こえている音は、いずれ空間に消えてゆく。

どこからか始まり、どこかへ向かっていき、どこかで終わる。

音は、目に見えない。
けれども、音は、わたしの身体を、あなたの身体を震わせる。
時には、身体だけでなく、心をも、魂までも震わせる。
それは確実に。

音は、誰かの意図に敏感。
誰かの意図をそのまま直接的に伝える。
ちっぽけな意図はちっぽけなままに。
大いなる意図はそのままに。
頭で考えた音は、頭で考えた音として。
楽しんでできた音は、楽しんでできた音として。

わたしたちの人生も音に似ている。
どこかからきて、どこかへ消えていく。
いろんな音があって、時には、響きあって、時には不和となって。怒りや悲しみに溢れる音だったり、楽しみや喜びに満ちた音だったり。
時には、誰かも際立たせ、時には主役となる。

わたしたちの固有の振動数。
いろんな音がある。
意図しても、しなくても。
わたしたちのそれぞれの音。
素敵な音。

それに気付いたとき。
大きな大きな響きとなる。
わたしもあなたも。