返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

酔っ払いの戯言のように

自分に嘘をつかないで、やりたいことをやろう!

と言われますが、これは、結構深いことですよ。

これは、表層意識で考えていることの範囲ではなく、本当に深層の意識の範囲からくることなのですよ。心から湧き上がることですね。

やりたいと思うことは、頭でひねり出しても、それは本当ではないのですね。表層意識で考え出したことの範囲ですから。

見える誰かに聞いても、ヒントをもらったとしても、自分の心との対話もしながらでないと、進展していかないわけです。最も、進展していく時期というのもあります。そこにくるまでの布石がたくさんちりばめられています。

できるからこそ、ココにあるし、できるからこそ、何らかの形で、きちんと伝えられている。そういうことなのですよね。

それをハッキリと気がついて、それを実行する勇気と決断と、確固たる意識をもって進めるか?

そこまでいって、やっと、自分に嘘をつかないで、やりたいと思うことに進めるのですね。軽いことではないのですよ。

本当に何がしたいのか?

これを自分に問うても、簡単に出てきませんよね

何かをきっかけとして何かつかんで何らかの行動をしたときに、そういえば、あの時、そんなことを言っていたな、そういうことが好きだったんだな、だから、あの時そういう思いを持っていたんだな、といったことが浮かんできたりするんですね。

何かをきっかけにして掴む。ということは、直感的感覚なんですが、自分のなんか良さそう!という心から思う感覚を信じらるか?ということになるんです。心から思うことがポイントです。

そして、「自分に嘘をつかないで、やりたいことをする」というのは、自分で今まで決めてた既存の枠組み、今までの自分の世界感と、全く違う発想をする世界にシフトしていくということなんですよ。

自分の枠を超える、という程度のものではありません。今までの発想の範囲を広げる程度のものではなく、発想を全く変える。ということなんです。

何が言いたいのか不明になってきましたが(笑)・・・。
要は、まずは、心から湧き上がることを信じて行動してみよ!それでわかることも多い!ということです。

お付き合い頂き、ありがとうございます。

思いつくままに20

大相撲の春の巡業において、土俵上で、
挨拶中に倒れた市長を救命中の女性に対し、
「女性は土俵上から降りてください。」
といったアナウンスがあったそうな。

こういったことは、
大相撲は神事につき、
女性は土俵に上がれない。
という伝統に基づくものからきている。

過去にも、女性の大阪府知事が、
土俵上で知事杯を直接渡したい旨を
申し出たが、受け入れられなかった。

大相撲の土俵上は神事
とする一方で、
マスメディアでは、
大相撲は、興行なのか?スポーツか?
といった神事とは関係がない議論がなされる。

このダブルスタンダード
日本人らしくて笑ってしまう。

で、
今度は命に関わっていることだから、
そういう場合は女性が
土俵に上がっても良いではないか❗
という論調がわき上がってくる😔

浅はかというか、何というか。

神事というなら、
神事にそぐった力士のみなのか?
神事というなら、
親方というものは、
聖職者に近い域になっているべきではないか。

都合のいいところだけとろうとするのが
よろしくないのだよ。

所詮は、人間が決めた決めごと。

大相撲が、
神事らしいことのみでは無いのだから、
例えば、土俵の取り組み以外では、
女性が立ち入ってもよいのでは?
と思う。

ちなみに、断っておきますが、
男女平等という観点でもないし、
フェミニストでもありません。

悠々自適

歌ったり、
お花挿したり、
和歌の真似事したり、
俳句の真似事したり、
短編小説もどき書いてみたり。

下手でも、
けっこう楽しいものですね。
誰かに評価されるでもなく、
勝手流がいいのです。

これで、
絵を描いたり、
書を描いたり、
悠々自適に暮らせたら、
なお、楽しいかも。

宝くじが当たったら、
仕事はボチボチで、
そんな生活してみたいものですよ。

自分であること

早いもので。
明日は春分の日

新年だろうが、
なんだろうがいいんです。

本当にやりたいことを
やりましょう。
出来不出来はおいておいて。

本当にやりたいことするには、
まだまだ力不足ということと、
本当にやりたいことに
まだ曖昧さがあるということ、
そういうことがあるかもしれません。

それでもいいから、
続けていきましょう。
楽しいと思う方法で。

誰かの考えは
誰かの考えに過ぎません。
自分なりの考えが大事なのです。

答えは、
自分の中にある。
本当の答えは、
自分の中にこそあります。
他人に委ねすぎては、
ダメなのです。

それが依存を生みますし、
それを商売にしている人もいます。

自分は大丈夫と思っても、
はまってるかもしれませんよ。

始まりと終わり。

春分ですね。

始まりは終わりの始まり。
終わりは始まりのための終わり。
循環して、
また戻ってくるように思えても、
同じところではなく、
少しずつ、
階層は異なる。

他人のコンテンツで人が呼べる
というのもすごいことだが、
自分のコンテンツで人が呼べるのは
とても立派なこと。

そう思ったら、
やってきたことは
間違いではない。

人に組み立ててもらうのではなく、
自分のやりたいことをやろう。

新たなスタートは
いつからでもできる。

自分のことを研ぎ澄ませ。

お疲れ様モード

全部消してしまいたい。
もう全てと関わりたくない。
全てを終わりにしてしまいたい。
全く違う関わりの中に身をおきたい。
それもあり。

今までやってきたこと。
意味があった?
今まで感じてきたこと。
そう思うようにしてきただけ?

そんなことはない。
意味のないことはない。
ちょっと疲れているだけ。

もう一度、充電が必要。
未来のために。
一旦消えようか。

ふふふ。それはできないでしょ。
ちょっとだけ静かにしてようか。
休んでいようか。

とりあえず、
充電しておいで。
お休みしておいで。

また活力が湧いてくるさ。

正義って?

クーデター。

成功すれば、
正義となり、
失敗すれば、
ただの反乱にすぎなくなる。
勝てば官軍、
負ければ賊軍というやつです。

背景はいろいろあるにせよ、
たとえば
源平合戦元弘の乱関ヶ原の戦い、明治維新
たとえば、
承久の乱本能寺の変大塩平八郎の乱

事を起こした人には、
その人なりの「義」があったわけで、
どっちがどうのこうの、
というのは、
当代の人々が言っていること
にすぎません。

どっちに義があったかなんて、
好き嫌いが関係していることもありますし、
後から作り込まれていることもあります。

歴史は何があったか?
ということだけでなく、
自分だったら、
という視点まで持ち合わせると
いいですよね。

それを聞いた他人がどう思うか?
なんて気にしなくていいですよね。
正しい答えなんて分かりませんから。

正しい答えなんて、
周りの「何となく」で
決められていることが
多い場合もありますしね。