返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

力を信じて

何が楽しくて続けていられるの?


そう聞かれても、答えは見つからない。


嫌いなの?面白くないの?

そう聞かれても、それは正しくない。


ただ分かっているのは、

ただただ納得いくものを作りたいだけ。

 

狭い世界の中に閉じこもっていても、

全貌は何も見えない。


広い世界に出てみたって、

全貌を見ることができるものでもない。


それでも、全部は知り得ないけど、

少しでも、全ての片鱗でも知りたい。

 

狭い世界で偉そうぶってみたって、

ただの井の中の蛙


外の世界は想像以上に広い。

狭い世界に安住の地を求めたって、

それは一時の安心。


安住の地は存在しない。

外の世界は常に動いている。

 

小さく見積もるな。

もっとできるはず。

 

自信をもって進め。

大丈夫なんだから。

目覚めってなんですか?

目覚めってなんですか?

 

スピリチュアルな世界観では、目覚めとかいう用語があります。

目覚めは、悟りとも、エンライトメントとも、覚醒とも言うみたいです。

 

正直言って、目覚めとは何をもって目覚めとするのかがわかりません。

目覚めが自覚できるのかもわかりません。

もし目覚めたとしても、それが目覚めであるのか? そうではないのか?

 

仮に、「目覚め」をアカシックレコードなど、

見えない世界にアクセスして情報を自由にとりだすことができることの意。

としましょうか。

 

そうすると、目覚めた人とは、

そういった能力を発揮できる人、ということになりますね。

 

そうだとすると、見えない世界の情報を自由に取り出せても、

使い方や、伝え方によっては、その人は悪魔にも、天使にもなるわけで、

はたして、そういったことが目覚めた人なのかどうか。

 

そういった能力を発揮できることが、目覚めの過程の一つだとしても、

それだけでは目覚めているとは言えないと思うのですよ。

 

また、そういった能力を発揮できる人でなくても、

目覚めた人がいたとしましょうか。

では、何をもって目覚めた人とするのか。

 

「目覚め」を定義しない限り、この解はないかもしれません。

最も、目覚めた人は、普遍的な定義がわかってるのかもしれません。

 

さて、目覚めの定義はあいまいのままですが、

読むだけで、身に着けるだけで、飲むだけで、覚醒する。目覚める。

そんな都合のいいことはあるのでしょうか。

 

もし、読むだけで目覚めに至るとしたら、

読んだ記事に対して、何等かの気づきがあり、

気づきに対して、日々行動し、

その積み重ねの末にたどり着くものではないかと。

 

 

仮に、目覚めにたどり着いたとしても、

それが目覚めなのかは自覚できないもの。

もし、目覚めが自覚できても、それは、エンドレスであり、

終わりのないものではないでしょうか。

 

結局、「目覚め」というあいまいなものを目指すより、

日々、何事にも真摯に向き合う姿勢でいることのほうが、

よっぽど大事なのではないかと思います。

 

これが私自身のこうあるべきであるという目指す姿勢ですね。

 

 

 

 

 

 

創造した世界について

創造した世界しかない。

 

創造した世界しかないってなんだ?

って思いますよねぇ。

 

それでもいいます。

結局は、想像した世界しかないのですよ。

 

あなたの人生は、それまであったものではありません。

創造した世界とは、

あなたの人生をあなた自身の手で、

それまでなかった初めての人生をつくりだすことです。

 

あなたが今いる世界は、これまでの歩みを創造した結果の世界です。

あなたは、これまであなたが創造した世界を構成する一員になっています。

あなたが創造した、その世界の住人なのです。

 

あなたの人生は、あなただけのものです。

いや、誰かのための人生である場合もあるでしょう。

いずれの場合であっても、あなたが創造した世界なのです。

 

あなたはいま、どんな世界に住んでいますか?

人を裏切り、人に裏切られ、人を憎しみ、人を恨み、人に恨まれ・・・

なんて世界ですか?

 

それとも、

人を愛し、信頼し、喜び、力を与え、勇気を与え、

人に愛され、信頼され、喜びを分かち合い、力をもらい、勇気をもらい・・・

なんて世界ですか?

 

 

もし、あなたが、あなたの今いる世界から、抜けたいのなら、

空想で現実逃避することはできますよね。

でも、空想だけでは、そこの住人のままです。

 

行動によって、創造していくことが大事なのです。

意志の力によって、行動が引き起こされます。

その行動が、未来の創造へと続いているのです。

 

行動したって、抜けられない。

そう思っていませんか?

そんなことはないのです。

 

 

行動することで、変化する方向に進んでいきます。

なぜなら、変化を望んでいるからです。

 

変えられなくて、死にたいと思うこともあるでしょう。

変えられるはずはない、と思っているかもしれません。

 

それでも、行動をするのです。続けるのです。機会を待つのです。

諦めたらお終いです。地道に、地道に行動し、機会を伺うのです。

 

そして、機会を得たと思ったら、迷わずに、GO!です。

来た!って心底思ったら、やっぱりGO!です。

 

この判断は、直観的なものが有力ですが、

その裏付けは、意志の力です。

 

行動する量、行動すべき質は、

個人個人で違います。同じ状況ってことは極めて稀だからです。

 

一足飛びで行ってしまう人もあるし、

亀のような歩みの人もいます。

 

行動していれば、歩みは遅くとも、

いつか新しい世界が見えてくるはずです。

 

創造の種は、どのようにでも変化します。

あなたの意志によって、どのようにでも。

 

創造の種には、意志の力によって、

翼をつけることもできれば、足を生やすこともできる。

 

それでも、創造の中には、自らの意志ではどうしようもない

想像しなかったことも含まれています。

 

それもまた人生。そこでどうするかがまた問われる。

そういうことの連続ですね。人生は。

 

創造とは意志の力によって、作られていくものですが、

日々日々、この瞬間瞬間の行動によって作られていくものです。

 

創造とは、

どのような在り方でいるべきなのか?

 

つまり、そのコンセプトや、理念をもとに、

どのように行動していき、あなたの世界をどこへ向かわせるのか?

 

ということに尽きるのではないかと思いませんか。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

思いつくままに22

打算で付き合うことの虚しさ。

まぁ、こういう付き合いはよくあることですね。
つながりをリセットしてしまいたいと思うこともあります。強制的にリセットされる関係もあります。

打算的な関係でなかったとしても、どの環境における付き合いも、全く悪くことは無く、それなりの位置付けになることも多く、慣れた環境になってきますね。

ですが、そこに甘んじていると、それ以上の飛躍が見えなくなるといいますか、それ以上の意識変化が起こらなくなるといいますか、なんとなく、生きていることに対する面白みに欠けてくる。そういうことはありませんか?

こういったときに、置かれているステージに変化が生じてくるということなのかもしれません。

ある人が言ってました。タイムラインが会わなくなると、それまで密に交流があった人でも、会えなくなるそうです。

人が離れていっても、それはもう、住む世界が変わっていったということですね。あなたには、あなたの新しいステージが、他人には、他人のステージが用意されています。

だから、そういう流れが来たならば、抵抗せずに、受け入れてみることですね。

思いつくままに21

権力を笠に着る。

こういう人が嫌いなんですね。

だから、人の上に立つ人には
ちゃんとしててもらいたい。

ちゃんとしててとは、
立ち居振る舞いのこと。

実るほど、頭を垂れる稲穂かな。
アメリカのエグゼクティブ層ほど、
言葉使いは丁寧なんだとか。

実力はあっても、横柄にならず、
実力が足りなければ、人をよく頼む。
下々の者がやんちゃなら、よく諭し、
自信をなくしてたら、勇気つける。

人の意見をよく聞き、
耳の痛い話に激怒せず、
最終的な決断は自らくだす。

こういう人物になりたいものです。

ある光景から

東京駅で見た光景。

この時期は修学旅行で東京に来る生徒さんたちが多いこと。
で、学校の先生が、生徒たちの前で、注意事項を説明しているようでした。

先生は大変ですよね。
生徒たちが無事に帰宅できるまで、面倒見なければならず、みんなが言うこと聞くとも限らず。それらを誘導しなければならずで。

ダメな生徒がいることも確かですし、自分の保身第一の先生がいることも確かですが、ダメな部分はダメと思っても、大変な仕事をこなしているんですよね。

学校の先生がいるから、学校にいる間、関節的にでも、面倒を見てもらっているわけなんで、世の中、もちつ、もたれつだなと。

酔っ払いの戯言のように

自分に嘘をつかないで、やりたいことをやろう!

と言われますが、これは、結構深いことですよ。

これは、表層意識で考えていることの範囲ではなく、本当に深層の意識の範囲からくることなのですよ。心から湧き上がることですね。

やりたいと思うことは、頭でひねり出しても、それは本当ではないのですね。表層意識で考え出したことの範囲ですから。

見える誰かに聞いても、ヒントをもらったとしても、自分の心との対話もしながらでないと、進展していかないわけです。最も、進展していく時期というのもあります。そこにくるまでの布石がたくさんちりばめられています。

できるからこそ、ココにあるし、できるからこそ、何らかの形で、きちんと伝えられている。そういうことなのですよね。

それをハッキリと気がついて、それを実行する勇気と決断と、確固たる意識をもって進めるか?

そこまでいって、やっと、自分に嘘をつかないで、やりたいと思うことに進めるのですね。軽いことではないのですよ。

本当に何がしたいのか?

これを自分に問うても、簡単に出てきませんよね

何かをきっかけとして何かつかんで何らかの行動をしたときに、そういえば、あの時、そんなことを言っていたな、そういうことが好きだったんだな、だから、あの時そういう思いを持っていたんだな、といったことが浮かんできたりするんですね。

何かをきっかけにして掴む。ということは、直感的感覚なんですが、自分のなんか良さそう!という心から思う感覚を信じらるか?ということになるんです。心から思うことがポイントです。

そして、「自分に嘘をつかないで、やりたいことをする」というのは、自分で今まで決めてた既存の枠組み、今までの自分の世界感と、全く違う発想をする世界にシフトしていくということなんですよ。

自分の枠を超える、という程度のものではありません。今までの発想の範囲を広げる程度のものではなく、発想を全く変える。ということなんです。

何が言いたいのか不明になってきましたが(笑)・・・。
要は、まずは、心から湧き上がることを信じて行動してみよ!それでわかることも多い!ということです。

お付き合い頂き、ありがとうございます。