返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

協力しあう。

自分の流れを大切にすること。

これって、周りの雰囲気に流されることを大切にすることではないですよ。自分のすべきことをしたうえで、意識を向けて、どこまでも、流れに乗っかることを大切にするということです。
わかりにくいですよね(笑)

往生際悪く、ジタバタ動いても、あれこれ考えても、流れが無い時には無く、無いものは無いので、何も前に進んでいないことになりますね。こんなときは、流れに逆らっていることになりかねませんね。

感じたら行動も、「感じた」が思考だったりすると、行動したところで、流れは来ません(笑)

それでも、行動することで、意識付けにはなるので、行動すること自体が悪いことではありませんよ。その行動した結果をどうみるか?です。

流れを大事にするのは、どこまでも流れに乗っかって、来るべきタイミングを捉えるのですよ。流れの中で、そのセンサーをはっておくのです。センサーは、掴もうとするものに対して、意識を向けておくことですよ。

さてさて、こういうことは、男性よりも、感覚に優れた女性のほうが得意かもしれませんね。

男性は、ひょっとすると、過去の成功体験とか、過去の自己のデータに照らし合わせることをたよりにして、掴もうとするかもしれません。それでは、間に合わないかもしれませんし、時代がどんどん変わっているいま、その成功体験が邪魔になる場合があるかもしれません。

いやいや、男性が劣っていると言いたいのではありませんよ。男性は、女性よりも、ロジックに考えることが得意ですよね。

一般的に、男性は女性を、女性は男性を理解できない生き物と捉える見方もありますが、だからといって、理解し得ないものとせずに、お互い、いいところは見習って、男性と女性が得意な能力を出し合って協力できれば、お互いに補完しあって、新たな流れを起こすことだって、十分に可能ですよね。

今日もお読みいただき、ありがとうございました。

自分で立つこと。

自分を100%信じ切る。

この言葉は以前にも書きました。

100%自分を信じるということは、
自分をよく見て、自分を知り、どんな自分でも、自分で認めること。

その過程において、他人の行動を見て感じることを、自分に顧みて、また自分を探る。
さらに、他人の助言や、何気ない一言を通して、
自分で気がついていない自分を気づかせてもらい、また自分を見る。
日々の出来事から何を見せられているのか、ということに気が付く。
そうしていくうちに、自分を知り、全ての自分を完全に認めてあげられるようになる。

「全ての自分を完全に認めてあげる」ということが、
自分を裁かない(いわゆるジャッジしない)ことになり、
自分を許すとか、自分を受け入れるとかってことになるかもしれません。
これが、自分自身とのパートナーシップを築くことになるのだろうと思います。
また、自分にそれができるのならば、
他人に対しても寛容になったり、無用な裁きは発生しなかったりするかもしれません。
そうすると、恋愛対象、夫婦を含めた他人とのパートナーとの関係が、
より良いものとして構築できることになるのでしょうね。

最も、自分を知る作業は奥が深すぎて、いつ底にたどり着けるのかは分かりません。
ですから、「全ての自分を完全に認めてあげる」というのは、
その時点の自分を認めてあげられるか、
その時点の自分を信頼できているか、ということになるのでしょう。

自分を100%信じ切るということが出来るようになれば、
自分のことを、自分で自分に聞いてみて、それで答えを出して、
自分で自分の人生をデザインすることだって十分に可能になるのでしょう。

もちろん、生きていれば、迷いが出るので、
より良い人生を送るために、他人に相談したりすることは、
幾らだって「あり」だと思います。
また、他人から学ぶことは幾らでもあります。

例えば、自分で答えを出さずに、答えを他人任せにして、
その答えに基づいて行動した結果、失敗したとします。
その時に、自分で全責任を負う覚悟ができているでしょうか。
少なからず、他人の所為にしてしまう心持ちが残ってしまうことはないでしょうか。

「変わりたい」と思っている人は、他人の出した答えに乗っかって、そのまま行動することで、
もはや城壁となっている、今まで自分が築いてきた自分にとっての常識を、
取り壊していくという方もいらっしゃるかもしれません。

それはそれで意味のあることだと思います。
いままで自分に無かった世界に踏み出そうとするのですから。
そうやって一歩踏み出したとき、順調なときは何も問題は起こらないと思います。
ところが、「いざ」という状態になった時に、自分で責任を負えるか?ということです。
他人の所為にしても、
行動するからには腹をくくれ!失敗したのは、覚悟が足りないからだ!
なんて言われるのがオチですよね。

一方で、自分で出した答えで行動した結果が失敗したら、
誰にも文句は言えませんよね。
それに、自分の出した答えなら、やり直すことだって、いとも簡単になるかもしれません。

そうであるように、自分で自分の気づきを得て、
他人から得た気づきを自分のものにして、自分の足で立って、
最後の最後は、自分で判断して行動する。
それが、自分との、そして、他人とのパートナーシップを気づくことの最初の一歩。
なのかなと思います。

これも「在り方」の一つですね。


今日もお読みいただきありがとうございました。

癒されたいのかも。

最近話してて思ったこと。

セラピストになりたい人って、実は、自分が癒されたいのかな?
セラピストになりたい人の全てでは無いと思うけど。

自己価値が低くて、自己承認欲求が強くて。
自分の力で他人を癒やしてあげられるという願望。それによって、自分の価値を高められるという幻想。見えない力を使えるようになるという優越感。見えないパワーへの憧れ。

こういう状態の人がセラピストになったとすると、セラピストは、自分を通して施術することになるから、癒されたいと思って来てくれるお客さまにも影響を与える。また、来てくれるお客さまも同じような状態の人だったりするから、自分も影響を受ける。

だから、セラピストが整っていないと、セラピストを、お客さまも危険な状態に陥るということになるのでしょうか?

もっとも、セラピストが、それに気づき、自分の状態を整ったものとしていくようになれば、セラピストもお客さまも、ともに、いい状態になるのでしょうね。

まぁ、最初から完璧は無いからね。
慢心せず、常に、自分の状態がどうであるかの確認を求められるということでしょうかね。

トンネル抜ける

次のステージに行くことを躊躇している暇は無い。
のですが、なかなかどうして。

頭では、分かっているし、ハートでも感じているのですが、感情の部分で、ブレーキをかけている。

ここで、開いてみせろ!と頭の中では言われているのですが、どうやってするのがいいのかが決めきれない。

コンフォートゾーンから、一歩踏み出せよ!というメッセージも来ているのですが、さてどうしたものか。

まだまだ執着があるのか。助走期間は終わったということなんだろうけど。案ずるより生むが安し。
かもしれず。。。

こんなモヤモヤが、夏至前後辺りから続いていました。ブログを書けるようになったので、少しはマシになったと思いますけども。

トンネルは抜けたかな。
なので、これから、恐怖や、恐れは気にせず、ワクワク感を思い出してみたいと思います。

☆お知らせ☆
7/29(土)に気づきの分かち合いお茶会3を開催します。

ある一コマ。

あるお話。

 

ある人に、最大限に思い量ってコメントしたことに対して、返ってきた言葉が、辛辣なものでした。友人は、怒りを覚えたでしょうし、悲しみも湧いたことでしょう。

ある人は、きっと、単純に「おめでとう」の祝福の言葉のみが欲しかっただけなのかもしれません。つまり、ただただ、自分の喜びを伝えて、承認して欲しかっただけかもしれません。

 

友人の抱いたであろう感情。怒りを覚えたり、悲しみが湧いたりしたって、全然かまわないのです。それを悪い感情と判断して、押し殺すほうがよくないですね。そういう感情が湧いてきたんだよね~自分。って感じで、自分はそう思ったんだよね。そうなんだよね。と認めてあげるのがいいみたいです。

 

さて、ある人と友人との相性は、エネルギーの合わない相性だったことも考えられます(あくまでも、私から見てですが・・・)。そして、友人はお優しい人柄ですから、エネルギーが合わない、話がかみ合わない、理解しがたいところがあるなどの違和感を、どことなく覚えながらも、ある一つの仲間意識として、気にかけてコメントしたのかもしれません。

 

やはり、エネルギーの合わない人とは、ある一定の距離をもって接するほうがお互いにとって無難なのでしょうか。すべては一つであったとしても、グループというものは存在するでしょうから、一見、一緒に集った仲間と思えるような存在であったとしても、実はグループが違っていて、相手のエリアに踏み込んでいい場合と、ダメな場合があるのでしょうね。

 

ですが、世の中には、そんなの関係なく、ズケズケと踏み込んでいき、いずれ仲良くなってしまう人もいますよね。こういう人とは何が違うのでしょうか。ハートの開き具合なのでしょうかね。ハートを大きく開いている人は、多少のことは大きなハートの愛で包んでしまうのでしょうかね。そして、それがいずれ相手のハートも開いてしまう。そういったことができるのかもしれませんね。

 

ところで、友人は、ある人のことを、思考が強く、感情が前面に出てくるタイプと評していました。これは、どういったことを表現しているのでしょうか。

私の解釈ですが、自分がブレ始めたときにおいて、自分が考えていること以外は受け付けない。自分が考えていること以外のことを受け入れるときは、自分が心酔する人に限る。自分の考えを否定する者は断じて許さない。自分の考えていることと違うことを発する者に対しては見下げてしまう。自分の考えのほとんどは間違ったものではない。といったところでしょうかね。

 

こういった人に対しても、自分のハートが大きく開いていれば、違う対応ができて、違う反応があったのでしょうかね。なってみないと分からないですね(笑)。

 

さてさて、今回の件が写し鏡だとすると、自分の中にも、そういったことがあって、同じよう反応を別の誰かに対してしていないだろうか。ということがあり得ますね。

面倒ですが、今回の件をキッカケにして、自分の中を探ってみると、見えてくるものがあるかもしれません。

 

そうはいっても、今回のこのお話は、私にとっても戒めなのですが・・・。

 

今日もお読みいただきまして、ありがとうございます。

軽やかに。

軽やかに飛び越えていく。

 

目の前に立ちはだかる壁のようなもの。

それは、越えられるものを超えられるタイミングでやってきます。

その壁のようなものをどのように飛び越えるかは、それぞれのセンスなんです。

 

例えば、今まで、大事に抱えてきたものを捨てて飛び越えるということもあるでしょうし、今まで当然と思ってきたことを、視点を変えて飛び越えるということもあるでしょうし、もちろん、今までのやり方、考え方を、ちょっとだけ手直しして飛び越えることだってあるのだろうと思います。飛び越え方に正解はありません。どれが最も軽やかに飛び越えられるか、ただそれだけです。

 

もし、壁のようなものが超えられなかったとした場合、逃げたって大丈夫です。それが必要な壁なら、もう一度、別の形でやってくるだけです。

一方で、壁のようなものが超えられなかったとしても、それは、その先には道がありませんというお知らせの場合もあります。例えば、体調に現れて気づかされるとかね。

 


さてさて、意外かもしれませんが、今まで、「大事に抱えてきたものを捨てて飛び越える」というのは、男性には難しいかもしれません。特に昭和の観念が染みついている男性。

なぜでしょう。それは、「男の自分が家族全員を支えなきゃ。」とか、「ここで辞めたら男が廃る。」とか、「男だったら、根性で乗り切らなきゃならぬ。」とか、そういった昭和の観念、それが男のプライドだって思っているからかもしれません。

それでも、いいんです。それでうまく回っていくのなら。それで飛び越えられるのなら。

 

そうでない人は、その観念、プライドを全部捨てたっていいんです。

これからは女性性の時代、女性の時代とか言われているのですから、男性一人だけが無理に頑張らなくったって、女性に堂々と食わせていただいたっていいのです。甘えたっていいのです。でも、家庭内、パートナー間でやるべきことはやりましょう。

 

というか、折角パートナーどうしになったのですから、パートナーが互いに一人一人ができることを考えて、あらゆる事に対応していけるようなパートナーシップを気づければ、そんな素敵なことはないとは思いませんか。

 

パートナーが互いに依存し合うのではなく(時にはOKだと思います)、できる人ができることをやっていく。そういう関係を家族の中から作っていけば、それが仲間内、地域、社会に広がっていくのかもしれません。

 

旦那の稼ぎが悪い。旦那がああしろこうしろとうるさい。旦那が何もしない。。。

嫁がぐちぐちねちねちうるさい。嫁が。。。などなど、不満はそれなりにあるでしょう。

そうかもしれませんが、それならなぜ、いつまでも一緒にいるのでしょうか。お金のためですか。それが幸せですか。幸せでないのなら、さっさと別れたっていいのです。

 

おやおや、そんなこと書いてたら、ふと、身の回りに離婚者が多いことに気が付きました。

一緒にいられないのなら、不自由ではない、自由を選択する。法律上のことはともかく、それだってありなんですね。

その人たちは、みんな光って見えます。生活苦かどうかはまではわかりませんけどね(笑)。

 

そんなことだって、軽やかに飛び越えていけばいんですよね。


久しぶりの投稿。お読みいただきありがとうございます。

夏至の気づき

夏至の当日。

私、並み居る先輩方を差し置いて、
あることで表彰されることになりまして、
全く予想だにしていなかったことで、
喜びよりも、驚きのほうが強く、
かえって、周りの人のほうが喜んでいる、という。。。

そこで、思ったのですが、
周りが喜ぶということは、
それを妬みに思う人もいるわけでして、
思い過ごしならいいのですが、
若干の意図が感じられ、、、

それで、そういうことを避けようと、
いつも、人の後ろに隠れて、
目立たないようにしようとか、
できない人の振りして、
あなたの方がスッゴいです、といって、
2番手、3番手、うん番手で、
人の影に隠れて、
自分を守ろうとしているのですね。

それが私のこれまでの習性でした。

それで、何年かまえに、
「みんなの希望の光にならないと。」
なんてことを言われたのを思い出し、、、

あるワークで、
「この世界の王になる」
という宣言があったのもまた思い出し、、、

コレをずっと拒否していたのだな~、
と言うことに気づいたのでした。

やっと、気付きのお茶会を縁ある方々と
始めることができ、2回は順調に進みました。

ですが、夏至過ぎてから次回開催は、
みんなの都合がバラバラのようで。
最大公約数を探ろうと思いましたが、
最初に決めた日程で執り行おうと決めました。

どういうエネルギーを入れて望むのか、
これも再びのお試しなのですね。

きっと、そんなことを肚で決めてしまえば、
スムーズに進めるということですな。

自分とのパートナーシップ。
自分を信じきれるか。
新時代は、そこからスタートです。
私の場合。