返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

Desire of Intense Light

強い光の願い。

強い光を放ったからといって、
他の光を消すということにはならない。

強い光を放ったからといって、
他に影を造るということにはならない。

強い光を箱の中に閉じ込めても、
強い光であるが故に隙間から漏れ出る。

箱の中から出たいとも思うし、
箱の中から出る必要もないとも思う。

でもね、
箱から出て何をしたらいいの?
箱から出て何ができるの?
箱から出て迷惑にならないの?
箱から出て惑わすことにならないの?

箱は自分で決めた枠組み。
箱は自分で覆ってる殻。
誰かに見つからないように。
ずっと守ってきた箱。

そろそろ出てもいいんだよ。
そろそろ出たいんでしょ?

そんなところにいないで、
もう、出ようよ!って、
後押しをして欲しい。
出る方法を教えて欲しい。

わかる誰かに見つけて欲しい。
わかる誰かに探して欲しい。
ずっと箱の中にいるから、
どうやって出たらいいのかが
わからないんだよ。

それが強い光の願い。

ことば

悪口:①十悪の一。荒々しく人を罵ること。その言葉。②人を悪く言うこと。その言葉。
陰口:その人のいない所でいう悪口。
(三省堂大辞林」より)

こうしてみると、悪口というのは、「悪くいうこと」の定義によって、悪口になるか、ならないか、ということになる。

ある人の定義によれば、その放った言葉に「悪意があるか否か」によって、悪口か否かに別れるらしい。

悪意が全く無くても、「もっとこうしたらいいのにねぇ」という希望が、批判ととられて、それが悪口と解釈されて拡散してたりする。

言葉を放った本人に、悪意が無くても、回りに回って、その言葉を受け取った人が悪意を感じれば、悪口と解されてしまう。

回りに回っていくうちに、第三者の良からぬ解釈や念が入ってくるから、最初に発信した言葉の意図するところと違ったもので伝わるから恐ろしい。

言葉は一人歩きするものではある。軽い冗談でいったつもりが、批判や、悪口と捉えられて、影で悪口をいう人というレッテルを貼られてしまう。

又は、言葉の表面ツラだけで、最後まで聞かずに、悪口をいう人と理解されてしまう。

一方で、悪口をいわれてた!陰口をたたかれてた!って、確たる証拠もなく、ネット上で拡散させる。これも、逆悪口ともいえる。

火のないところに煙は立たぬという言葉はあれど、根も葉もない噂という言葉もある。例えば、根も葉もない根拠を基に、相手方に偽の情報を流して、謀略を企てる。ありもしない情報に基づいて、相手を攪乱させ、弱体化させる。いわゆる情報戦。

個人のレベルでも、組織レベルでも、やってることは同じ。相似形なの。

これを逆手にとって、良いイメージを吹き込み、それを拡散させたり、拡散してもらったりする。これは、セルフブランディング

何が本当なのか、嘘なのか。真実は闇の中に潜む。

最後は自分の信じるものにしたがって、極力、周りに大きく左右されず、真贋を見極められるように、目が利く人のように生きていきたいものです。

他人が教えてくれること。

人の振り見て我が降り直せ!

とはよく言ったものですね。

元々の原因が自ら発していたとしても、直接的にでも間接的にでも、他人の振る舞いで、気分を害することがあるかもしれません。

又は、いわれのないことを見聞きしたとき、やはり、気分を害することがあると思います。

そんなとき、怒り狂って反撃したくなると思うかもしれません。又は、悲しみのあまり、鬱々としてしまうかもしれませんね。

でもですよ。冷静になってみれば、チャンスが訪れたと考えることができませんか?

だって、自分に変化をもたらすチャンスですよ。自分のざわついた感情を抱き参らせる。抱き参らせるのは、他人ではなく、自分自身なのです。

このチャンスに感謝しかありません。いかに自分の傲慢さ、慢心などが現れ、いかに感謝が足りなかったことか。

他人を通して映し出されるわけですよ。

ご恩を頂いた方々には最大限の感謝ですし、そうでなかった人にも感謝ですね。

他人が私のよくなかったことを教えてくれ、それを直すことができる。そういう方向にもっていければ、良い方向に向かっていきますよね。

多面性

多面性。自分の中の多面性。

どれが本当で、
どれが偽物というものではない。
どれも本物の自分。

そのとき、そのときで、
どれが好きな自分かということ。
ただそれだけ。

どんな聖者だって、
自分を売り込むときは、
ブランディングしている。かも。

裏を返せば、相手が見せる姿も多面的。

いろいろな自分の姿も楽しんでしまえ。

ダラダラと。

先日、アトランティスだの、プレアデスだの言ってる方に出会った。

そういう話は嫌いではないし、むしろ、面白いとさえ思う。そう。好きだから。

一方で、まだそんなこと言ってるの?とも思った。それが悪いというわけはない。

その先に行かなければならないのに、そこで立ち止まってては・・・。それでいいの?とか。

私もそういったところを通ってきたなぁと。私は、そこで立ち止まっては嫌なんだなぁと。そう思った。だから、スピリチュアルなんて、もう止~めた。と思ってた。

でも、それまでは、入口に立つまでの準備に過ぎなかった。それに気がついたら、やっぱり進めないとダメなのねと。

はい。ハラ決めて進まないとね。何があっても、大丈夫と思えるようになるかな。

チャレンジ

進化への抵抗が起きている。

今まで自分では、もう立ちゆかないところまできている。

そんなメッセージが方々からきている。

生み出す側へ、どうシフトしていくか。

まさに転機。チャレンジし続けてきたと思っているけど、より一層のチャレンジが求められる。苦しい道のりかもしてないが、進化への道のり

ちゃんと、時期は来れば用意されている道だったのね。

ならば、受け入れようではないか。

葛藤

葛藤。

ずっと抱えている葛藤。

破りたい自分と、守りたい自分。
なりたい自分と、なれない自分。
産み出したい自分と、産み出せない自分。
できると思ってる自分と、できないと思ってる自分。

この根底にあるのは、恐れ。
恐れすら幻想にすぎないのに。

後悔するのなら、
公開してしまえ。
航海してしまえ。
というのもありだろう。

後悔するのなら、
なかったことにしてもいい。

どっちか選ばなければならなくなったら、
葛藤している暇はない。

アホになって、なりきってしまえば、
なんだってできるはず。

そのためのチャレンジはし続けているはず。

そうは思っても、まだまだ、思っているほど、覆ってる壁は薄くないようだ。

先は長いが、あっという間に過ぎていく。

葛藤しても、進む以外にない!ということだな。