返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

思いつくままに22

打算で付き合うことの虚しさ。

まぁ、こういう付き合いはよくあることですね。
つながりをリセットしてしまいたいと思うこともあります。強制的にリセットされる関係もあります。

打算的な関係でなかったとしても、どの環境における付き合いも、全く悪くことは無く、それなりの位置付けになることも多く、慣れた環境になってきますね。

ですが、そこに甘んじていると、それ以上の飛躍が見えなくなるといいますか、それ以上の意識変化が起こらなくなるといいますか、なんとなく、生きていることに対する面白みに欠けてくる。そういうことはありませんか?

こういったときに、置かれているステージに変化が生じてくるということなのかもしれません。

ある人が言ってました。タイムラインが会わなくなると、それまで密に交流があった人でも、会えなくなるそうです。

人が離れていっても、それはもう、住む世界が変わっていったということですね。あなたには、あなたの新しいステージが、他人には、他人のステージが用意されています。

だから、そういう流れが来たならば、抵抗せずに、受け入れてみることですね。

思いつくままに21

権力を笠に着る。

こういう人が嫌いなんですね。

だから、人の上に立つ人には
ちゃんとしててもらいたい。

ちゃんとしててとは、
立ち居振る舞いのこと。

実るほど、頭を垂れる稲穂かな。
アメリカのエグゼクティブ層ほど、
言葉使いは丁寧なんだとか。

実力はあっても、横柄にならず、
実力が足りなければ、人をよく頼む。
下々の者がやんちゃなら、よく諭し、
自信をなくしてたら、勇気つける。

人の意見をよく聞き、
耳の痛い話に激怒せず、
最終的な決断は自らくだす。

こういう人物になりたいものです。

ある光景から

東京駅で見た光景。

この時期は修学旅行で東京に来る生徒さんたちが多いこと。
で、学校の先生が、生徒たちの前で、注意事項を説明しているようでした。

先生は大変ですよね。
生徒たちが無事に帰宅できるまで、面倒見なければならず、みんなが言うこと聞くとも限らず。それらを誘導しなければならずで。

ダメな生徒がいることも確かですし、自分の保身第一の先生がいることも確かですが、ダメな部分はダメと思っても、大変な仕事をこなしているんですよね。

学校の先生がいるから、学校にいる間、関節的にでも、面倒を見てもらっているわけなんで、世の中、もちつ、もたれつだなと。

酔っ払いの戯言のように

自分に嘘をつかないで、やりたいことをやろう!

と言われますが、これは、結構深いことですよ。

これは、表層意識で考えていることの範囲ではなく、本当に深層の意識の範囲からくることなのですよ。心から湧き上がることですね。

やりたいと思うことは、頭でひねり出しても、それは本当ではないのですね。表層意識で考え出したことの範囲ですから。

見える誰かに聞いても、ヒントをもらったとしても、自分の心との対話もしながらでないと、進展していかないわけです。最も、進展していく時期というのもあります。そこにくるまでの布石がたくさんちりばめられています。

できるからこそ、ココにあるし、できるからこそ、何らかの形で、きちんと伝えられている。そういうことなのですよね。

それをハッキリと気がついて、それを実行する勇気と決断と、確固たる意識をもって進めるか?

そこまでいって、やっと、自分に嘘をつかないで、やりたいと思うことに進めるのですね。軽いことではないのですよ。

本当に何がしたいのか?

これを自分に問うても、簡単に出てきませんよね

何かをきっかけとして何かつかんで何らかの行動をしたときに、そういえば、あの時、そんなことを言っていたな、そういうことが好きだったんだな、だから、あの時そういう思いを持っていたんだな、といったことが浮かんできたりするんですね。

何かをきっかけにして掴む。ということは、直感的感覚なんですが、自分のなんか良さそう!という心から思う感覚を信じらるか?ということになるんです。心から思うことがポイントです。

そして、「自分に嘘をつかないで、やりたいことをする」というのは、自分で今まで決めてた既存の枠組み、今までの自分の世界感と、全く違う発想をする世界にシフトしていくということなんですよ。

自分の枠を超える、という程度のものではありません。今までの発想の範囲を広げる程度のものではなく、発想を全く変える。ということなんです。

何が言いたいのか不明になってきましたが(笑)・・・。
要は、まずは、心から湧き上がることを信じて行動してみよ!それでわかることも多い!ということです。

お付き合い頂き、ありがとうございます。

思いつくままに20

大相撲の春の巡業において、土俵上で、
挨拶中に倒れた市長を救命中の女性に対し、
「女性は土俵上から降りてください。」
といったアナウンスがあったそうな。

こういったことは、
大相撲は神事につき、
女性は土俵に上がれない。
という伝統に基づくものからきている。

過去にも、女性の大阪府知事が、
土俵上で知事杯を直接渡したい旨を
申し出たが、受け入れられなかった。

大相撲の土俵上は神事
とする一方で、
マスメディアでは、
大相撲は、興行なのか?スポーツか?
といった神事とは関係がない議論がなされる。

このダブルスタンダード
日本人らしくて笑ってしまう。

で、
今度は命に関わっていることだから、
そういう場合は女性が
土俵に上がっても良いではないか❗
という論調がわき上がってくる😔

浅はかというか、何というか。

神事というなら、
神事にそぐった力士のみなのか?
神事というなら、
親方というものは、
聖職者に近い域になっているべきではないか。

都合のいいところだけとろうとするのが
よろしくないのだよ。

所詮は、人間が決めた決めごと。

大相撲が、
神事らしいことのみでは無いのだから、
例えば、土俵の取り組み以外では、
女性が立ち入ってもよいのでは?
と思う。

ちなみに、断っておきますが、
男女平等という観点でもないし、
フェミニストでもありません。

悠々自適

歌ったり、
お花挿したり、
和歌の真似事したり、
俳句の真似事したり、
短編小説もどき書いてみたり。

下手でも、
けっこう楽しいものですね。
誰かに評価されるでもなく、
勝手流がいいのです。

これで、
絵を描いたり、
書を描いたり、
悠々自適に暮らせたら、
なお、楽しいかも。

宝くじが当たったら、
仕事はボチボチで、
そんな生活してみたいものですよ。

自分であること

早いもので。
明日は春分の日

新年だろうが、
なんだろうがいいんです。

本当にやりたいことを
やりましょう。
出来不出来はおいておいて。

本当にやりたいことするには、
まだまだ力不足ということと、
本当にやりたいことに
まだ曖昧さがあるということ、
そういうことがあるかもしれません。

それでもいいから、
続けていきましょう。
楽しいと思う方法で。

誰かの考えは
誰かの考えに過ぎません。
自分なりの考えが大事なのです。

答えは、
自分の中にある。
本当の答えは、
自分の中にこそあります。
他人に委ねすぎては、
ダメなのです。

それが依存を生みますし、
それを商売にしている人もいます。

自分は大丈夫と思っても、
はまってるかもしれませんよ。