返ってきたミトラ通信

おおいなる調和を目指してしなやかに生きる。

思いつくままに12

オリンピック、連続の金メダルでした。
金メダルを獲得してくれたことは、単純に嬉しいことですね。

メダリストのインタビュー記事を読んでいると、金メダルを得るという目標は掲げつつも、自分をどこまで高められるか?に主眼を置いているように思いました。

周囲の期待も背負っているとは思いますが、それに振り回されることなく、先ずは、自分のことに集中し、いまできる理想を求め、ベストを尽くす。それが大事なんですね。

メダルは栄誉。でも、生き方が大事。素晴らしいです。こういうことがいえる人物となりたいものです。また、こういうことをいえる人物を育成できる人物にもなれるよう、自分も高めたいものです。

思いつくままに12

不正。

 

辞書によれば、「正しくないこと。正当でないこと。また、そのさま。」(三省堂 大辞林より) とあります。正当とは、道理にかなっていること、すなわち、人の行うべき正しい道にかなっていることですから、不正とは、「正しくないこと、人の行うべき正しい道にかなっていないこと、また、そのさま。」ということになりますね。

 

「不正をはたらく」のはいけないと言われますが、なぜ、不正をはたらいてはいけないというのでしょうか。

 

それは、保とうとしている秩序が保たれなくなるからでしょうか?

ズルして伸し上がることが汚いことと見なされているからでしょうか?

騙したりしたことで罰せられることがダメな人という烙印を押されるからでしょうか?

 

では、不正をはたらいてでも頭角を現した人が、世のため、公のためになり、人々が物質面でも、心の面でも、豊かさを享受することになったとしても、不正をはらたくことはいけないとうことになるのでしょうか?

 

この例として挙げられる極端な例としては、クーデターや、革命だと思います。クーデターや、革命がおこる以前の秩序の下では正当とされていたものを犯して行動した結果、人々を豊かにしたのであれば、世の人々は、不正という認識はなくなります。

ねずみ小僧も、この類に分類されるかもしれません。盗み自体は良いこととはされませんが、盗んだ金子(きんす)が、世の人々にバラまかれて、本当に豊かになったのなら、人々は不正とは言わないかもしれません。英雄い評する人まで出てくることでしょう。もっとも、盗んだ金は要らない、掠め取った権力は認めないという人もいると思います。

 

さて、そうすると、不正ではないこと、道理にかなっていること、すなわち、「人の行うべき正しい道」とは、どういうことをいうのでしょうか。

 

これに対する正しい答えというのは無いかもしれません。その人の文化的背景、宗教的背景、社会的背景、時代的背景によって、異なってくるようにも思います。

日本にも、日本人以外の人々が増えてきました。外国人は、日本人とは異なる文化的背景、宗教的背景、社会的背景等をもっていますから、相互理解が難しいこともあると思います。日本人の側から理解しようとしても、相手が一方的に理解しようとしてくれないかもしれません。これは、日本人と外国人との間のみならず、日本人同士でも起こっていることです。ですから、多様性の時代にあって、「人の行うべき正しい道」の答えは一つではないかもしれません。

 

「人の行うべき正しい道」は、ある世界観では、「我先に、他人を蹴落として、自分だけ、自分の一族だけ豊かになればいい。」という道が、正当である場合があるかもしれませんが、私の答えは異なります。

 

それは、「自分自身の信念に嘘偽りがなく、後ろめたさは何らなく、何の迷いもなく堂々と、自分自身を100%信じ、一つ一つ淡々と向き合い、自分自身で決めているラインを割らず、そういった自分を認め、他人を否定せず、感謝の気持ちを忘れず、そして、公のために自分を生きること。」こういうことが、「人の行うべき正しい道」につながるのではないかと私個人的には思うのです。

 

きれいごとかもしれませんし、まだ到達いるものではありません。しかし、この境地に達する道のりは長い道のりであろうとは思いますが、死ぬまでには到達したい境地であります。

 

思いつくままに11

冬季オリンピックの真っ最中ですね。
応援している選手がいい順位をとることは、応援している者、応援される選手にとって、励みになりますよね。

本番のその一本に掛ける思いは、
どの選手も同じなんだろうと思います。
メダルをとれても、とれなくても、
どの競技のどの選手も、
力の限りを尽くせることを願ってます。

ある記事で、トップアスリート(だけではないかもしれませんが・・・)は、自分の道具を他人に細工されないように、自分のスペシャルドリンクに変なものを入れられないように、細心の注意を払うようです。しかも、それは、つまり、自分の身は自分で守るということは、トップアスリートの常識なんだそうです。

肉体の極限を追い求めて、自分の限界に挑戦することで、また、最先の記録や順位を獲得することを目指している世界であっても、心の部分では、追いついていないのでしょうか。

いえ、選手の心が追いついていないというだけではないでしょう。回りにいるスタッフの仕業もあり得ます。いずれにしても、華やかの裏には、深い影が存在しているといえそうです。これも、陰陽の法則の表れかもしれませんね。

自分の限りを尽くして挑戦した結果、思うように奮わなかったとしても、見ている人から見れば、感動を覚えるものです。

しかし、不正で最良の結果を得たとしても、結果は結果ですから、不正が発覚しない限りは、賞賛を得続けるでしょう。

では、なぜ、不正が行われるのでしょうか?不正が行われるのは、アスリートの世界に限りません。
不正をしないと、地位、名声、報酬が得られないからでしょうか?それは、自分(たち)の生存や、存在意義が脅かされてしまうことにつながるからでしょうか?

不正を働かなくても、自分の持ってるポテンシャルを十分に発揮できる世界で、自分を活かしていく、そういった世界観で日々の営みを重ねていきたいものです。

モヤモヤする

モヤモヤする気持ちは何なのか?

それは、例えば、相手の反応から、寂しかったからかもしれません。または、ちょっとだけ悔しかったのかもしれません。

仲間と思っていた人が、親しくしていると思った人が、実は既に遠くにいる人だったりするのかも。

相手も成長し、自分も成長していますが、歩む方向が既に違っているのかもしれません。

そういうときは、いい人ぶらず、無理に接触しようとせず、自分を見つめることが大事になってきます。どうして、そう思うのか? それは何なのか?

それが写し鏡だったとすると、その態度を見た自分の中にも、モヤモヤを感じさせる何かがあるのかもしれません。

また、そのモヤモヤ感は、自分の進化することへの抵抗かもしれません。進化させないようにモヤモヤ感が現れる。そのモヤモヤ感を突き止めて、解消してしまえば、新たな展開となってくるかもしれませんね。

思いつくままに10

余計なお世話と思われそうですが、異分子とか、異端児について思いつくまま書いてみました。

異端児。
「ある分野で、正統から外れ、特異な存在とみられている人。」(デジタル大辞泉より)

それでは、正統って何でしょう?
「その時代、その社会で最も妥当とされる思想や立場。」(デジタル大辞泉より)

異端の存在というのは、最も妥当とされる思想や立場から外れ、特異な存在とみられていることのようですね。

私は異端の存在である、というのを憚らず、自ら公言するのは、自身の内面で思い描いて作りあげた、最も妥当と思われる考え方から外れていると勝手に思っているのかもしれません。

しかし、ある場では、異端かもしれないけれど、他の場では妥当な立場に収まるかもしれません。

また、異端と思うなら異端と思うなりに、異なる見地から、物事を見られるし、助言もできるわけですから、その場では貴重な存在にもなりうるのです。ありとあらゆる場において、異端の存在であるということはないはずです。

もし、その場での疎外感を感じるというのなら、飛び込んで、自分の囲みを解かれることを恐れているかもしれませんし、飛び込んで、反撃されるかもしれないという不安を抱えているのかもしれません。

自分を活かす、というのは、他人によって活かされるものでもありますが、まず、自分自らの意志によって、自分を活かすと決めることが大事なんだろうと思います。

野菜

野菜。今年の冬は例年に比べ、高いですよね。
全ての野菜がそうではありませんが、不十分だなと思うような野菜でも、それなりの値札を付けられて、店頭に並んでいます。実は、これ、これまで目にしてきた価格が安すぎるのかもしれません。

野菜をスーパー等の店頭でしか見ていないと、野菜が手元にくるまでの感覚が麻痺してしまいますよね。それは仕方の無いことです。普段触れていない部分に対する感覚が失われていくことは、あらゆるところで起こることです。

農作物が手元にくるまで間、流通や、小売りの努力もありますが、農家の方々の力、自然の力があって初めて手にいれることができるのです。

商品作物を作っている農家の方々は、朝早い時間から畑に出て、畑の管理をして、作物を収穫して、収穫した作物をパッキングして、とまぁ大変です。農家でもいろいろですが、商品作物を作っている農家でも、野菜農家でなくて良かったと思うほどだそうです。とにかく、手がかかってます。

私もお手伝いで、畑作業をしたことがありますが、次の日は筋肉痛でした(笑)

もし、仮に、農家のすべてが、自宅で食べる分だけ栽培して、市場に出荷せず、現金は他の手段で稼ぐようになったら、どうなるか想像できますか?

外国から輸入すればいいしぃ、というのは無しです。相手から輸出ストップになったら、野菜は市場から消えてしまいます。

みんな田畑を持って、自家栽培で、現金は他で稼ぐ、というのを全員でやればいいというのもありますが、現時点では、現実的ではないでしょう。

高いなと思っても、野菜を購入することで、国内の農家を保護することに貢献する、平たくいうと、明日も、来年も野菜が食べられる、と思ったら、少しでもいいから、食べたい野菜を購入するというのは、いかがでしょうか。

オーガニック野菜や、無農薬野菜を普段から普通に購入している方々にとっては、関係の無い話かもしれませんね。

それと、プラーナで生活しているから関係ないわ!と言う人には、ごめんなさいなお話でした(笑)

気づきの分かち合いお茶会6報告

今日は、気づきの分かち合いお茶会でした。
お越しいただいたみなさま、ありがとうございました。

会を主催するというのは、教えられることばかりです。伝えていると思っていることが、うまく伝わっていなかったり、進行がいまいちだったり、自分の未熟さであったり。

ですが、場を作って、普段、違う世界に住んでいる人々が集い、思い思いのことを話して、それを分かち合っていくというのは、毎度、とても有意義なことだと思います。

同じ程度に理解しあえる仲間によって刺激しあい、より理解を深めていくことになりますし、また、こういう集いを通じて、ご縁を深化させていくことができるのもありがたいことです。

それぞれが、会合毎に、自らの役割を演じたりして、自らを活かす場になったら、いいなぁと思います。

またどうぞ、よろしくお願いいたします。